「学校の勉強って何の役に立つの?」が愚問であるたったひとつの理由

「学校で習う内容って役に立たないし、意味ないよね?」

こういった疑問や主張を、誰でも一度は聞いたことがあるでしょう。

  • 三角関数や微分積分なんて、普段生きていて使わない
  • なにが”いとおかし”だよ?こんなもの学んでも時間の無駄だ

といって、学校で学ぶ内容が直接的に役立つ機会が少ないことを理由に、学校教育は無駄だと主張する人もいます。

しかし、学校で習う内容自体が役に立つかどうかはそれほど重要ではないのです。

なぜなら、学習する内容とは別に、”本当に身につけるべきもの”があるからです。

考え方や勉強の仕方を身につけることが学校教育の最大の意義

学校の勉強を通して、本当に身につけるべきものは、「ものの考え方や学習・勉強の仕方」です。

これはつまり、学校の勉強を通して

「どういった手順で物事を考え、どういった方法で勉強すれば、学習の成果をあげられるか」

を試行錯誤する中で見つけていくことが、授業で習う内容よりも重要だということです。

なぜ「自分に合ったものの考え方や学習・勉強の仕方」を身につけることが重要なのか?

それは、「考えることや勉強・学習は、生きている限り一生続けていかなければならない」からです。

学校を卒業すればもう勉強しなくていいという訳にはいきません。社会人になっても、避けて通ることはできません。

たとえば、新しい仕事を任されることになった場合には、仕事のやり方を早く覚える(=学習する)ことが求められます。

もし、学生時代の勉強を通して、

俺は、流れを意識してフローを作ったほうが暗記しやすいんだよな!

といったことがわかっていれば、自分なりの”仕事の手順書”を作れば効率的でしょう。

また、新しい企画の立案を任された場合にも、

私は、なにか物事を考えるときは、頭に浮かんだことをメモとして書き出しておく方がいい考えが浮かぶの!

といったことに気づいていれば、より良い企画が思いつくでしょう。

 

そういったことを考えると、学校で身につけるべきなのは、”学習する内容”よりも”ものの考え方や勉強する方法”なのです。

学校教育の最大の意義は、「学校を卒業してからも通用する”物事の考え方”や”勉強の仕方”を身につけること」といってもいいでしょう。

そのように考えると、学校で習う内容が役に立つかどうかは大きな問題ではありません。

どの教科もちゃんと勉強すれば意外と役に立つ

一方で、各教科を学ぶことで、実生活でも役に立つ能力を磨くことができると私は思います。

ここでは

  • 国語
  • 数学
  • 理科
  • 英語

の各教科が、どのような能力を向上させるのに役に立っているのかを書き記します。

国語:読解力と共感力

国語を学ぶことで身につく能力は、”読解力””共感力”です。

”読解力”は、簡単にいうと”文章を正しく理解する力”。主に評論文(現代文)を読む中で培われます。

  • 筆者が主張していることはなにか?
  • その主張の根拠はなにか?

といったことを意識し、文章の流れも考えながらひとつひとつの文章の意味を正確に理解するといったプロセスの中で、読解力は向上していきます。

この”文章を正しく理解する力”は、すべての学習の土台となる大切な能力です。

なにかを新しく学ぶとき、教科書や参考書・マニュアルなどを用いることが大半です。

しかしながら、そういった本やドキュメントを正しく読み、正しく理解することができなければ、そもそも新しいことを学ぶことができなくなります。

また、”共感力”は、”相手の気持ちをおもんばかる力”といえるでしょう。

こちらは、小説や随筆(エッセイ)を読むことで磨かれていきます。

小説や随筆を通じて「登場人物はどういった気持ちだったのか?」といったことに思いを巡らせる。

そういった経験を重ねていくうちに、作品に登場する人物だけでなく、普段の生活で接する周りの人の気持ちを考えることにもつながってくるのではないでしょうか。

そして、相手の気持ちに配慮した言動や行動によって、不要な争いや対立を避けることができ、よりよい人間関係の構築に役立っていくでしょう。

このように考えると、”読解力”と”共感力”を養う国語は、世間が考えているよりも重要な教科なのかもしれません。

数学:論理的な思考力

数学で身につく能力は”論理的な思考力”です。

数学を通じて

  • 前提となる条件はなにか?
  • その条件からどのような結論が導かれるか?
  • 目標の条件にたどり着くために、どういった条件が必要となるか?
  • いくつかの具体的な例から、一般的にどういったことがいえるか?
  • 逆に、一般化・抽象化された事柄から、具体的にどのようなことが導き出されるのか?

といったことを考えることで、「論理的に正しいことをひとつひとつ積み重ねていくとはどういうことか?」を学ぶことができます。

日常生活においても、論理的な思考が必要になる場面はたくさんあります。

例えば、なにか達成したい目標があったとき、

  • どんな条件をクリアしないといけないのか
  • 他に条件はないのか

を考えると、本当にやるべきことが明確になってきます。

「○○したら、痩せた!」という記事をいくつか見たときも

  • その方法は、その人だから痩せたのでは?(一般性がないのでは?)
  • それらの方法に共通することはなにか?(より一般的な事柄はなにか?)

といった視点から見てみると、流行りのダイエット法に振り回されることもなくなるでしょう。

情報が溢れているいまの時代、その波に飲み込まれないためにも、”論理的な思考力”がより重要な役割を果たすのではないでしょうか。

理科:試行錯誤のプロセス

理科で重要なのは、”試行錯誤のプロセス”を学べることでしょう。

理科の授業で行われる実験は

  1. 実験
  2. 観察
  3. 仮設
  4. 検証
  5. 実験に戻る

といったサイクルで行われていきます。

こういった「実験-観察-仮設-検証」のサイクルが役に立つのは、なにも理科の実験だけではありません。

勉強はもちろん、スポーツ、芸術、料理など、試行錯誤が必要となるあらゆる分野で役に立つ考え方です。

ただやみくもに「実験」を繰り返すだけではダメ。実験の後に「観察」を通して「仮設」を立て、「検証」を行う。

この一連のプロセスを繰り返すことで、問題解決や新たな発見につながることを、理科の実験を通じて学ぶことができます。

英語:自分と異なるものへの理解・配慮・尊重

学校で英語を学ぶとき、言語の習得自体はそれほど重要ではありません。

言語習得よりも重要なことは、「自分と異なるものへの理解や配慮、尊重」が促進されることではないでしょうか。

英語の授業で扱われる内容を通して、欧米の文化や考え方に触れる機会があります。

さらに、英語の授業では、たびたび外国人の方が講師を務めることもあります。

そういった”異文化とのふれあい”の中で、いままで常識だと思っていたことが、世界から見れば当たり前のことではなかったり、といったことに気づく機会になります。

さらに進んで、

外国には、日本と違ったいろんな考え方がある。でも、どっちがいい・悪いという訳ではない。いろんな考え方があっていいんだ。

と気づくことができれば、自分と異なる考え方にも理解を示し、そして尊重する態度が育っていくのではないでしょうか。

SNSが発達し、世界中の人々と気軽に言葉を交わせるようになったいまだからこそ、無用なトラブルに巻き込まれないためにも、自分と異なるものにも配慮を示す姿勢が求められているようにも感じます。

学んだことをすべて忘れた後に残るもの

アインシュタインは、次のような言葉を残したと言われています。

教育とは、学校で学んだことをすべて忘れた後に残るものである。

この言葉にも「教育で大切なのは、学ぶ内容ではない」ということを表しているのではないでしょうか。

これまで見てきた

  • ものの考え方や学習・勉強の仕方
  • 読解力と共感力
  • 論理的な思考力
  • 「実験-観察-仮設-検証」のプロセス
  • 自分と異なるものへの理解・配慮・尊重

は、アインシュタインが語る”すべて忘れた後に残るもの”だと私は思っています。

”すべて忘れた後に残るもの”こそ、学校の授業で習う内容よりも大切なものなのではないでしょうか。