写真を撮れなかったからこそ気づいた小さな幸せ・本当の楽しみ

camera

“ブログで使えるような、いい写真を撮ろう!”

旅先ではそんなことを考えながら取り憑かれたかのようにカメラをパシャパシャ。

1回の旅行で撮る写真は、ときには100枚を超えるほど。

でも、ある旅行先で気づいた。

“写真ばかりじゃ、100%楽しむことはできない”って。

ここでは、そう考えるようになったエピソードをご紹介します。

イライラしてまで撮らないとダメなの?

それは、京都のとあるお寺での出来事。

そのお寺の見どころは、母屋の2階から見える”青もみじ”。

母屋の2階は座敷になっており、そこに置かれた机には青もみじが映り込む。

目の前いっぱいに広がる青もみじの緑はまさに絶景。

 

そんな様子を雑誌で知り、

にいろくお
あの景色、実際に見たらどんなにキレイなのかな?

そう思うと、いてもたってもいられず、実際に訪れたのだった。

 

朝10時過ぎ。

2階に上がると、すでに机の周りを十数人ほどが囲って写真を撮っていた。

その人混みの中を割って入り、カメラを構えたとき、あることに気がついた。

どうしても写真に映り込んでしまう場所でくつろいでおられるご夫婦がいらっしゃったのだ。

にいろくお
邪魔だなあ…。どいてくれないかな…

なんて思い、少しイライラしつつも、しぶしぶとシャッターをきっていた。

 

声が聞こえたのは、そんなときだった。

カメラマンA
そこ、邪魔なんですけどー!
カメラマンB
そのとおりやわ!ホンマに

そんな心ない声を受け、ご夫婦は申し訳なさそうに端に移動された。

 

騒ぎを受けて、お寺の関係者の方が慌てて2階へ上がってきた。

関係者
その机は、皆さまに楽しんでもらえますために設置しております。混雑しておりますので、写真をお撮り終えた方はお譲りいただけるようお願いいたします。

 

そんなアナウンスを聞き、われに戻った。

にいろくお
なんで自分はイライラしてるんだろう?景色を見て、楽しむために来たんじゃないのか?

そんなことを考えながら、その場を後にした。

もしかして、人の楽しみを奪ってる?

“ひょっとしたら、周りの人に気を遣わせているのではないか?”

そんなことを考えるようになった。

観光客A
ここにいたら写真の邪魔になるから、移動しようか…
観光客B
絶景が見えるポイントだけど、混雑してるから諦めようか…

 

周りの人にそういった”気遣い”を強要しているんじゃないだろうか。

写真を撮っているときには周りが見えなくなる。

普段なら気づくようなことでも、気がつかなくなってしまう。

きっと私も、周りの人に迷惑をかけながら写真を撮っていたんだろうな。

”約束された絶景写真”を撮って嬉しかったのか?

私は、雑誌で見た絶景写真を文字通り”再現”しに行っただけだった。

にいろくお
私もあんな写真を撮りたいな!

って思って、その場所に訪れた。

でも、いま考えると、ただの”再現”にあまり価値はないように思えてきた。

 

例えるなら、レトルトカレーを作って、

にいろくお
私が作ったカレー、おいしいやん!

って喜んでいるような感じ。

レトルトカレーは、温めるだけで誰だっておいしいカレーが食べられる。

材料を切ったり、火にかけて煮込んだり、そういった”イチからの準備”は一切いらない。

そんな手間のかからないレトルトカレーで

にいろくお
やった!おいしいカレーが作れた!

って喜ぶ人は誰もいない。

だって美味しいのは保証済みなんだから。

 

絶景ポイントでの写真も同じに思えてきた。

”キレイに撮るためのアングルや時刻”は、イチから考えなくても分かっている。

ただ指定された条件でシャッターを押せば、簡単にきれいな写真が撮れる。

その日の私は、どうしてあそこまで必死になって写真を撮っていたんだろう?

写真を撮れないから味わえた幸せなとき

次に向かったのは、石畳が趣ある小さなお寺。

そのお寺では、本殿・通路での写真撮影が禁止となっていた。

写真を撮ることはできないけど、座敷から見える庭園の景色に魅了された。

参拝客もまばらであったので、座敷に座ってのんびりと過ごすことに。

そこには、赤ちゃんを連れたご夫婦や、そのご家族のおじいちゃん、おばあちゃんなどがいらっしゃった。

私と同じようにのんびりと過ごされている。

ときおり、赤ちゃんがこちらを見てニコッと笑う。

嬉しくなって手を振る私。

それを見て、満面の笑みを浮かべる赤ちゃん。

のんびりとした時間の中の、ちょっとした幸せ。

そんな時間のほうが、最初のお寺で過ごした慌ただしい時間よりも魅力的に感じた。

本来の楽しみを放棄してたんじゃないか?

帰り際になって、ふと

にいろくお
どうして写真を撮るの禁止にしたんですか?

と、ご住職さんに聞いてみた。

ご住職
お寺では、雑念を消して穏やかな気持ちでお過ごしになっていただきたい。ですので、写真撮影はご遠慮いただいております。

その言葉を聞いたとき、初めて“本来の目的”でお寺を訪れていなかったことに気づいた。

 

“ブログに載せれるような写真を撮りたい!”

そのお寺を訪れるまで私は、そんな邪念だらけの気持ちしか持っていなかった。

 

目まぐるしく時間が過ぎていく普段の世界から離れ、座敷に座り、ゆっくりとした時間を過ごし、自分自身を取り戻していく。

それが、お寺に足を運ぶ”本来の目的”であり、”本当の楽しみ方”だと、いまになって気づいた。

 

思えば、写真に取り憑かれるようにして行った一人旅は、どれもむなしかった。

頭の中は写真のことでいっぱいで、周りの景色を楽しむ余裕がなかった。

いままでの一人旅を振り返って思い出すのは

  • ベストショットを撮るために何枚も同じ写真を撮り続けていたこと
  • 通行人がいなくなるまで数分間、カメラを構えたまま待っていたこと

といった苦労ばかり

  • 人がいなかったらもっといい写真とれたのに…
  • この建物の配置がもうちょっと左だったらなあ…

そんなことばかり考えていた。

自分はいったい、何をしに行っていたのだろうか?

本当に楽しかったのだろうか?

 

でも、今回の一人旅で気づくことができた

写真のことを考えないからこそ、周りの小さな幸せや本当の楽しみ方に出会えるのだと。

今度からは、なんでもかんでも写真を撮るのはもうやめよう。

その方が楽しいと気づかせてくれたのだから。

写真ばかりで、楽しむ余裕をなくしそうになったとき、ご住職のお言葉を思い出そう。