社会人になって初めた読書。
初めは、通勤電車の暇つぶしに読んでいただけだった。
主に読んでいたのは、ビジネス書や自己啓発本、実用書など。
でも、あるとき
“読書って、内面を磨くのに効果的な手段かも?”
って思えるようになってきた。
ここでは、読書の習慣によって、”どのように変わったか”を紹介します。
“いろんな考えがあってもいい”って気づいた
本を読んでいると、いろんな主張や結論に出会う。
ある本では推奨されていたことが、他の本ではやってはいけないこととして挙げられていたり。
また、同じ出来事や仮定から、まったく違った結論が導かれることも。
逆に、異なる仮定から出発したのに、最終的に同じ結論に至ったり。
「正解は、人の数だけあるのかもしれない。」
ふと、そう思ったり。
同じ人でも、時間とともに考え方が変化していく。
同じ作者でも、過去に出版した本と違うことを主張しているときもある。
「前と言ってたことが違うやん。」と、いったんは思うが、
「でも、どんな心境の変化があったのだろう?何があったのだろう?」なんてふうに考えなおす。
本を読む前は、無意識に”答えは必ずひとつだけ”って決めつけていた。
でも、“これが絶対に正しい”といえることはめったにない。
だから、いろんな考え方があっていい。
そう思えるようになってから、少しずつ内面にも変化が表れてきた。
相手の言い分を受け止められるようになった
私は、ものすごく頑固だ。
言い争いになっても、いつも自分の主張を曲げなかった。
- 「絶対自分のほうが正しい。」
- 「相手が間違ってる。」
そう思って、相手の話をいっさい聞かなかった。
だが、ストレスだけは溜まっていった。
怒りがおさまらず、余計に腹が立つことばかり。
でも、いまは
- 相手のいうことも一理あるかもしれない。
- 分が、相手の主張を十分に理解できていないだけかもしれない。
と頭によぎり、相手の言い分にも耳を傾けられる。
注意深く聞いてみると、相手の意見も案外、的外れでなかったり。
ときには、私より先を見越してたり。
「そういう考え方も”あり”なんじゃないか?」
そう思えるようなことも増えた。
白黒はっきりつけることが、いつでも正しいことだとは限らない。
相手を受け入れる度量みたいなものが、少しだけ広くなった気がした。
“なにか事情があるのかも”と思えるように
器の小さい私は
- 時間を守れない
- 約束をすっぽかす
- 仕事をきっちりやらない
などの行動を許せなかった。
- 「なんで遅れてくるん?」
- 「約束を忘れるってありえへんやろ!」
- 「お前がやるべきやねんから、きっちりやれや!」
口には出さなくても、心ではそう思っていた。
態度にも出ていたと思う。
でも、人を動かすという本に出会ってから、少し考え方が変わった。
人を非難するかわりに、相手を理解するように努めようではないか。
どういうわけで、相手がそんなことをしでかすに至ったか、よく考えてみようではないか。
そのほうがよほど得策でもあり、また、おもしろくもある。
そうすれば、同情、寛容、好意も、おのずと生まれてくる。(出典:人を動かす P.32 [PART1 1.盗人にも五分の理を認める] )
「なにかやむを得ない理由があるのかもしれない。」
いままで、そんなことを考えることはなかった。
- 「ひょっとして、体調が悪かったから遅れてきたのかな?」
- 「約束を忘れるほど忙しかったのかな?」
- 「飼ってたペットがいなくなったとか、恋人と別れたとか、仕事に身が入らない理由があるのでは?」
そう考えだした途端、相手を責めようという気持ちはなくなった。
すると、不思議とイライラすることは少なくなった。
そのとき、はじめて、いままで、どうでもいいことで腹を立てていたことに気がついた。
“読書”と”人付き合い”って似てる
“人付き合い”と“読書”は似てる。
読書してると、作者と対話しているような感覚に陥ることがある。
初めましてのときは、
- 「どんな人(本)なんだろう?」って中身を知ろうとする。
- 「あなたはどんな人ですか?」って問いかける。
ひと通り話し(読み)終えると、なんとなくわかった気になる。
でも、初対面の人は、なかなか本性を表さない。一回見ただけでは”上っ面”しか分からない。
パッと見てわかるところは本質じゃない。その人の”本当”を表していない。
何度も接してみてはじめて、それまで見えてなかったものに気づく。
似ているからこそ、読書の習慣は、現実の人付き合いにもプラスになる。
読書離れ・活字離れが叫ばれる現代。
読書の習慣をつけるだけで、他の人と大きなアドバンテージをつけることができる。
読書で内面を磨き、素敵な人へ。