判断基準は納得できるかどうか 検察庁法改正案騒動で考えたこと

judgment

世間がコロナウイルスで大変な時期。

そんな折、Twitter上では「#検察庁法改正案に抗議します」がトレンド入り。

つぶやかれた件数があまりにも多かったので、自分なりに調べて、考えた。

でも、どうしても納得する結論に至らなかった。

しかし、結論が出ないというのもスッキリしない。

そうやって考えているうちに、あるひとつの真理にたどり着いたのです。

「判断基準は、納得できるかどうか」

調べても考えても答えが出ないよく分からない問題

「#検察庁法改正案に抗議します」

爆発的に拡散したわりに、そこまで単純な問題でもないような印象。

意見もいろいろ。

  • 三権分立がうんぬんかんぬん
  • 検察の独立性がどうたらこうたら
  • 政府の介入によってああだこうだ

一見すると、どれも正しいように思えるのですが、どれも考えを深めていくにつれ、

「それって本当なの?」

という思いが強くなり、納得することができない。どうも腑に落ちないのです。

そもそも民主主義ってなんだっけ?

どうやら良し悪しがはっきりわかる問題ではなく、結論を下すのに時間がかかりそう。

だったら、なおさら

「なんでコロナで大変な時期なのに、この改正案の審議に時間を割いているんだ?そこまで急ぐ必要はあるのか?」

という思いが強くなっていきました。

そんなときにふと頭に浮かんだのは、「民主主義ってなんだろう?」ということ。

日本は、代議制民主主義。

選挙で選ばれた議員が、審議を繰り返していく。

私たちの代表として、政策を決定していく。

「私たちの代表ならば、国民が納得する説明をするべきではないのだろうか?」

そういうふうに考えたとき、初めて自分なりの結論が出せた。

「納得できる説明がなければ、改正案には反対」

改正案の良し悪しは、まだわからないけど。

答えが見つからないなら、納得できるかどうか

“判断基準は納得できるかどうか”

この判断基準は、政治的な問題だけでなく、答えがない(出ない)問題を判断する際にも使えそうです。

しかし同時に、あまり熟慮せずに、この判断基準に頼りすぎるのも恐ろしく思います。

いまや世の中には情報があふれています。

ときには、影響力を持った人が発言することも。

そういった様々な情報や発言を無批判的に受け入れてしまうと、誤った判断につながってしまいます。

最初から「誰々が言っていたから」を判断基準にするのは、あまりにも危険だと思うのです。

物事を考えていく際は、

  1. 情報収集や熟慮を重ね、課題を理解する(抽象論や伝聞・推定はうのみにしない)
  2. リスク・リターンを考慮し、良し悪しを判断する
  3. どうしても良し悪しがわからない場合は、”納得できるか”で判断する

といったプロセスで行うと、誤った判断をすることも少なくなってくるのではないでしょうか。

さて、納得していただけましたでしょうか?

 

※参考までに、検察庁法改正案について調べていた際に見た記事や動画などを以下に記載いたします。