“もらう”人より”与える”人へ

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文明が発達し、お金を出せばいろいろなサービスを受けられる時代になりました。しかし、それに伴って、私たちは損得で物事を考えることが増えたような気がします。

損得感情で考えると、”与える”行為は損であるといえますが、私は損をしてでも”与える”人でありたいと思います。

与えることは、喜びにつながる

“与える”行為を行えば、物質的損失、あるいは時間的損失を伴う行為です。しかし、私にはそれらの損失を伴ってでも得たいものがあります。それは、”人の喜んでいる顔”です。その人が喜んでいる顔を見ると、こちらも幸せな気持ちになります。そのような顔を見ているうちに「自分は、人を喜ばせるために生きているんだ」と思うこともあります。人の喜んだ顔には、それほどの力があります。

与える人は、もらえる人にもなれる

人に、”与える”行為を行ったとき、その行為を”受け取る”相手はどのような心情になるのか考えてみます。

まず、人に何かをしてもらったとき、”与える”人から何か不純な動機(騙そうとしている、好かれようとしているなど)を感じなかった場合。このとき、受け取る人は、与える人に好意を感じます。また、受け取ったからにはお返しがしたいと思うようになります。すると、今度は与える人と受け取る人の立場が逆転します。つまり、与えた人が今度は受け取る人に、受け取った人が与える人に変わります。

これこそ本当の”win-win”の関係だと思います。あげて幸せ、もらって幸せ。相手ももらって幸せ、あげて幸せ。幸せの好循環は連鎖していくのではないでしょうか。

物や行動の大小は関係ない

私の個人的な感覚ですが、人に何かを”与えた”とき、その与えたものが大したものでなくても、十分幸せな気持ちになるのだと思います。日常のちょっとした雑事を代わりにやってあげる、コンビニで買ったお菓子をちょっと分けてあげる。そのようなことをしてもらったときでも私は、「自分のためにやってくれたんだ」と思い、嬉しくなります。

「たいしたことじゃないから当然だ」「毎日やってもらってるから当たり前だ」というような気持ちになってしまい、幸せの好循環を断ち切らないようにしたいです。