NHKの朝のニュース番組のコーナーで、密着取材を受けていたJリーグの村井満チェアマン。
その取材は、コロナの影響で開幕延期となっていたJリーグがやっと再開されたときのもの。
私は、その取材の中のある一言がとても印象に残っている。
村井チェアマンの”おおらかさ”が溢れていた
ゴールを決めた選手が仲間と抱き合って喜びあっていた様子を見て、村井さんはボソッとつぶやいた。
「人間だもんね」
この一言に、村井さんの”おおらかさ”を感じた。
やっとリーグが再開されて、ゴールを決めたときの選手の喜びは、普段よりも大きかったのだろう。
この「人間だもんね」は、そんな選手たちの気持ちに寄り添った言葉に聞こえた。
私の目には、村井さんがとても人間らしく、そして魅力的な人に映った。
私の頭には、批判の言葉しか浮かばなかった
「人間だもんね」
同じ映像を見ていたとき、私の頭には、そんな言葉は1ミリも浮かばなかった。
私の頭の中には、
「こんなときに抱き合って喜びあっていいの?」
というような批判的な言葉しか出てこなかった。
きっと、私が村井さんと同じ状況に置かれていたら
「なに抱き合って喜んでいるんだ!時期を考えろ!」
と頭ごなしに怒鳴っていたに違いない。
確かに、感染を広げないためにも、接触を避けて喜びを表現するべき。
もちろん村井さんも「人間だもんね」と言った後、「喜び方も考えないといけないとね」とおっしゃられていました。
けれど、抱き合って喜び合う姿を見て、批判的な言葉しか浮かばなかった私と、「人間だもんね」という優しい言葉が第一声として出てきた村井さん。
村井さんみたいな心の大きな人に、少しでも近づけるように、普段の行動や考え方を見直していきたい。
”○○だもんね思考”でおおらかさを取り戻す
この「○○だもんね」という考え方は、日常のあらゆる場面で役に立つことに気がついた。
例えば、電車の中で赤ちゃんが泣いているときや、公園で子供が騒いで遊んでいるとき。
「うるさいな、もう。イライラする」と思ったときに、
- 「でも、赤ちゃんだもんね。泣くのが仕事さ。健やかに育つといいな。お母さんも大変だと思うけど頑張ってね。」
- 「子供だもんね。元気があっていいね。こっちもなんか元気が湧いてきたよ。」
そう考えると、穏やかな気持ちを持てる。
また、「○○だもんね」と考えられる人って、どこか人間らしさを感じられる。
優しくおおらかで、心が大きな人。そんな大人に私はなりたい。