”外見より中身を見てほしい”と思わなくなった理由

”外見よりも中身を見てほしい”って思ったことはありませんか?

私は、ずっと思ってた。

決してイケメンではないので「外見なんて整えても無駄だ」とさえ考えていた。

そして、外見に自信がないため、内面をアピールしようとする。

でも、よく考えると、”中身を見てほしいって思ってる自分には、アピールできる中身なんかないんじゃないか?”と思うようになった。

それは”やさしさ”なんかじゃなかった

”外見よりも中身を見てほしい”

そう思っていた私は、どんな”中身”を見てほしかったのか?

そのときは、”やさしいところ”って本気で思っていた。

学生時代、私のクラスに、短期でワガママな男子生徒がいた。

自分の思い通りにならなかったら、相手が誰であっても不満をぶつけるようなやつ。

「お前、❍❍しろって言ったやろ?なんでやらんねん?」

彼女にさえ、そんな感じで叱っていた。

そんな彼を見て

にいろくお
にいろくお

(ああいうワガママなやつにだけはならないでおこう。)

と思った。

にいろくお
にいろくお

(彼女ができたら、強く当たることだけは絶対しない。自分は、彼よりやさしいから。)

マジメにそう考えていた。

でも、私の場合は”叱らない”のではない。”叱れない”のだった。

つまり、相手に非があったとしても、強く言えないということ。

これは、”やさしいから”ではなかった。ただ自分に自信がないから強く言えないだけ。

でも、それを”やさしさ”と勘違いしていた。

他にも勘違いしていたところがある。

にいろくお
にいろくお

(できるだけ彼女の意見を尊重しよう。自分は「あれしたい、これしたい」ってワガママ言わない。)

と考えていた。

でも、これも”やさしさ”ではなかった。

ただ優柔不断で、自分では決められないだけ。相手に任せているだけだった。

もっと言えば、”責任をとりたくない”という意思表明。自分というものを持っていなかった。

「なんでもいいよ」「どっちでもいいよ」って言葉は、なんだかやさしそうに見える。

けど、それらの言葉はただの”責任放棄”にすぎなかった。”自己保身”でしかなかった。

こう考えると、自分には”やさしさ”なんかなかった。

ただ自分のことを考えていただけだった。

外見に気を遣わないのに、”中身”がある?

また、”中身を見てほしい”と言ってる自分には欠けているものがありました。

それは、“思いやり”の気持ちでした。

あなたが女性だったら、次のような男はどうですか?

  • 髪型がなんか変
  • 服装がダサい
  • 清潔感がない

私なら「そんな人と一緒にいるところを見られたくない」と思います。

でも、”中身を見てほしい”と言っていた頃の私は、まさに”そんな人”でした。

外見に気を遣っていなかった私は

「相手の立場に立って考えることができません。」

と表明しているようなもの。

そんな私に、”思いやりの心がある”とは誰も思わない。

実際、”思いやりの心”はなかった。

外見に気を遣わなかった理由は、”外見を整えても無駄だ”と思う気持ちよりも、“めんどくさい”と思う気持ちのほうが大きかった。

外見について考えなおす

女性は、”美”に対して、時間もお金もかけている。

それに比べて、私はどうでしょうか。外見を整えるために何もしてこなかった。

もし私が”思いやりのある”男性なら

「女性は『少しでもきれいに見せよう』と頑張っている。自分が外見に気を遣わないのは女性に対して失礼だ。」

と考えるのかなって思った。

外見がきっちりしてるからといって、中身もしっかりしてるとは思わない。

でも、外見に気を遣っていなかった私には、”やさしさ”も”思いやり”もなかった。

「まずは、外見から変えてみよう」

そう考えるようになった理由のひとつでした。

また、外見を変えたときの心境の変化は

“外見”を整えると、”中身”まで変わった話

で紹介しています。